子どもの喧嘩に親が出たら



「どうしてこうなったのかしら」



恵美子が娘の手を強く握ると、おさげ髪の女の子も強く握り返してきた。眼前には、ピンクのスーツを着た女性と紺のパンツスーツを着た女性とが、激しい言い争いを繰り広げている。

明後日の親子遠足の買い物をするためにスーパーへやってきた恵美子と娘の栞だったが、お菓子売場で5歳くらいの女の子がふたり、口ゲンカをしている現場に出くわした。

「きのこ!」

「ぜったいにたけのこ!」

緩くカーブのかかった髪を頭頂部でふたつに結わえ、サーモンピンクのワンピースを着た女の子の手にはきのこの形をしたチョコレート菓子の箱があった。一方、ショートカットにキリッとした顔立ち、デニムがよく似合う女の子はたけのこの形をしたチョコレート菓子の箱を握りしめている。これがケンカの原因のようだ。

「あ、みわちゃんとゆうきちゃんだ」

栞はふたりの顔を見て笑顔を浮かべた。

「あら、本当ね……でもふたりだけだなんて。お母さん達はどこかしら」

恵美子はどうしたものかと声をかけるのを躊躇していた。栞も恵美子が動かない事もあって、その場でふたりの様子を見ていた。

「ママはたけのこよりもきのこがおいしいっていってた」

「うそ!うちのママはたけのこがおいしいって!」

ぱっちりとした目をさらに見開いているツインテールと、ぽっちゃりとしたほっぺをふくらませて目の前の相手を睨みつけるショートカット。他愛もない子どものケンカだが、よりによってこのふたりなのかと恵美子は思わずこめかみに手を当てた。幼い子どもに罪はない。問題なのはその母親たちなのだ。

「あら、栞ちゃんのママ」

「まぁ偶然ですわね。あなたも遠足のお買い物に?」

あぁ、このタイミングで来ましたか、と恵美子は心の中でため息をついた。それでも顔はきちんと笑顔を作ってから声のした方へ視線を向けた。

「こんにちは、木ノ山さんに竹里さん」

ふたりは同じ保育園に娘を通わせている、いわゆるママ友であった。ツインテールの名前は美和といい、母親である木ノ山は夫の父親が地元の議員で、議長も務めている。一方のショートカットの名前は優希といい、母親の竹里はこの地域を代々まとめていた家柄の嫁であった。

それだったら私立の幼稚園にでも通わせるだろうに、などと共働きの恵美子は思ったものだが、15歳までは普通の生活をさせるというのが家訓らしいと人づてに聞いた。それでなくても町で突出した家同士なので自然と目立ってしまうというのもあった。

かくして、何度目かの二大勢力の直接対決の火蓋が切って落とされた。

「あら、竹里さんたらこんな太りそうなおやつを買って差し上げるんですの?」

「お言葉ですが木ノ山さん、そんな貧相なおやつでは美和ちゃんが可哀想ですわよ」

「なんですって?!」

木ノ山の目尻がつり上がり、竹里の頬がひくついている。うっすらとふたりの頭に角が生えてきたような錯覚を恵美子は覚えた。母親から発するただならぬオーラを感じたのか、美和も優希も、栞までもが黙り込んでしまった。

「きのこはたけのこよりもチョコレートがたくさんあるんですよ!お得じゃないですか」

「何をおっしゃいますか!チョコレートとビスケットが渾然一体となって、最後まで甘さが楽しめるのがたけのこの良さです!」

「それってずっと甘すぎなだけじゃないの。きのこのあの甘くないビスケットはいいアクセントなんです!太っちゃうじゃないの」

「アクセントなんておっしゃいますが、ちょっとした事ですぐ割れちゃうじゃないの。あんなのあるだけ無駄無駄。それなら普通のチョコレートで十分じゃないですこと?」

「なんですって?!すぐ割れるとかおたくの娘がガサツなだけなんじゃないの?」

「はあ?おたくの娘こそ、そんなものばっかり食べてたらあっと言う間に虫歯になりますわよ!」

母親同士の舌戦はどんどんエスカレートしていく。そしてその声を聞きつけたのか、恵美子たちの背後には黒山の人だかりが出来ていた。

「あのう・・・・・・そろそろその辺で止めていただけたら・・・・・・」

「川口さん……ってもう、面倒だわねぇ」

「恵美子はいつもどっちつかずよね」

それまではお互いを睨みつけてきた木ノ山と竹里は、傍観していた恵美子の方に視線を移してきたため、思わず恵美子は身構えた。

「恵美子はどっちの味方なのよ!」

ふたり同時に言われても、どちらの味方にもなりたくありませんという本音を飲み込み、曖昧な笑顔を浮かべるしか恵美子に術はなかった。

栞を含めた娘たち3人が仲良しなのは、母親同士が中学時代の同級生だった事が大きい。その当時からふたりはは何かにつけて張り合っていたし、恵美子がその間に挟まれるのもしょっちゅうだった。進学して就職して疎遠になっていったのだが、結婚し、娘が同じ年に生まれた事でまたしても奇妙な縁が結ばれてしまったのだ。世の中は広いが世間は狭い。

結局、スーパーの店長が間に入ったことでその場は終わった。しかし、木ノ山と竹里はまだ言い足りなさを顔全体で訴えていたのが、恵美子には気がかりだった。

翌日、保育園へ栞を送りにいった恵美子は、園内が木ノ山派と竹里派に二分されているのを見て、さらに頭が痛くなった。それぞれに取り巻きがいるのは知っていたが、今回は他のクラスの父兄まで巻き込んでいるようだ。

しかも木ノ山派は胸にきのこのワッペンをつけたりきのこの帽子を被っているし、竹里派は笹の葉を胸やら帽子やらにつけている。このセンスも恵美子には理解できない。あのひと晩でどれだけ多数派工作をしたのか、想像するのも嫌になってきた。

「今度は何が原因なんでしょうね、あのお二方は」

ベテラン保育士の片山にそう聞かれたが、まさかきのことたけのこのお菓子が原因とは言えず、曖昧に笑う恵美子であった。

栞はというと異様な雰囲気もどこ吹く風、とばかりに会う人会う人に向かって「おはようございます!」と挨拶をして回っていた。しかもみんな笑顔で返してくれるのだから、このマイペースぶりは誰に似たのかしら?と恵美子は思った。ふと、恵美子は教室の隅でぽつんと座っている美和を見つけた。そして、扉の前にたったまま、美和を見つめる優希の姿も。しかし、その距離が縮まることはなかった。

そして親子遠足当日。行き先は動物園だ。

いつもであれば行きのバスの中では子どもたちの笑顔があふれ、あちらこちらでおしゃべりが聞こえるのだが。

「みなさん、おはようございます」

バスガイドのお姉さんの声に誰も返事をしない。木ノ山派と竹里派にきっちり席が分かれており、お互いに睨みを利かせているのだ。バスを別にしろという両者の提案を園長先生が却下したためにこの有様。主役のはずの子ども達も大人しく座っているしかないようだ。

重たい空気にさすがにバスガイドの笑顔も凍り付き、それ以上言葉を発することなく前を向いてしまった。ああ、巻き込んでごめんなさい、と恵美子は栞の手を握りながら心中でつぶやいた。

「ママ、みんなすわってるね」

「栞も着くまではちゃんと座っているのよ」

「はーい」

栞はリュックから動物園の絵本を取り出して、ニコニコしながらページをめくり始めた。しかし、いつ絵本をリュックに入れていたのかが分からない恵美子であった。

重苦しい車内をよそにバスは動物園に到着した。

粛々と降りる親子たち。やはり空気は重い。木ノ山派と竹里派とに分かれるのは変わらず、その間に恵美子を含めたわずかな中立組が立っている。私たちは緩衝帯か、とため息が漏れた。

入園後の注意をする片山保育士の話をどこまで聞いているかは謎だが、とりあえず中に入ってしまえばいいやと恵美子は思った。

「ねえママ、キリンさんみたい」

「そう。じゃあキリンさんから行こうかしらね」

「わーい!」

両手を大きく広げてにかっと笑う我が子に、今は楽しもうと心に決めてキリンの場所へ向かう。家に帰ってから夫に見せる為の写真も忘れずに撮っておかないと、とバックからスマートフォンを取り出した。

「栞、こっち向いて」

「はーい!」

元気な返事と共に栞はキリンの前で満面の笑みを浮かべて、Vサインをしてきた。

「いくわよ。ハイ、チーズ」

ピコン、とスマートフォンから音が流れ、次の瞬間にシャッターが切られた。

栞の好きなキリンを見たり、猿山を見たりとあちこち歩き回っているうちにあの一件は頭から抜けていく。最近仕事が忙しく、中々ゆっくり出来なかったため、娘とふたりで過ごす時間がとても心地よかった。

お昼になったので芝生の上に腰を下ろし、恵美子は弁当を広げた。いなり寿司、玉子焼きに唐揚げ、タコさんウィンナーにうさぎリンゴなど栞の好物を詰め込んである。

「おいしいね!ママのごはんだいすき!」

いなり寿司をもぐもぐしながら栞は笑う。今日だけは食べながら喋るな、とは言わないでおこうと心に決める。娘の笑顔をたくさん見られるのは本当に幸せなのだ。この瞬間も恵美子はスマートフォンで撮っておいた。

「あの……恵美子?」

「ちょっと聞きたいんだけど」

そこへ木ノ山と竹里が揃ってやってきた。ふたりとも今日はカジュアルな服装だが、それでもお金がかかっていそうなオーラが漂っていた。

「ふたり揃ってどうしたの?」

「美和がいなくなったの」

「優希もよ。さっきまでは一緒だったのに」

いなくなってから時間が経っているのだろう、ふたりの顔には焦りの色が浮かんでいた。

「最後に確認したのはいつなの?」

「15分位前に、トイレに行くからって離れていったの」

「うちも同じ位かしら。ひとりで行けるからって言うから……ついて行けばよかった!」

恵美子は、昨日のふたりの様子を思い出していた。自分たちのケンカに母親を巻き込んだだけでなく、ここまで騒ぎが大きくなってしまった責任を幼心に感じたのかも知れない。そう思うと、居ても立っても居られなくなってきた。

「私も探しに行くわ」

「しおりも!」

お弁当箱を片付け、恵美子は立ち上がった。

刹那。

突然甲高く鳴り響くサイレンが聞こえたかと思うと、間もなく男性の声で園内アナウンスが流れてきた。

「みなさまにお知らせします。たった今、檻から虎が逃げ出しました。係員の指示に従い速やかに避難してください。繰り返します・・・・・・」

二度目のアナウンスは凶暴な啼き声にかき消されてしまった。

ぐああああ!!

「きゃあああああああ!!」

「虎だ、虎がいるぞ!」

「逃げろ!」

一斉に出口へと人が殺到する。

慌ててつまづく人、荷物を置き去りにする人、子どもとはぐれる親も続出し、園内は騒然とした雰囲気へと一変してしまった。

「美和!」

「優希……どこに行ったの!?」

木ノ山と竹里はキョロキョロと周りを見回したり、体が震えていたり、逃げる人にぶつかって罵倒されたりと完全にパニック状態になっている。これでは足手まといになるだけだ。かと言って、恵美子と栞もこの騒ぎの中ではうっかり動くと美和や優希の二の舞になりかねない。しかし、動物園の職員を探そうにも誰が誰だか分からない。完全に行き詰まり状態だ。

「ママ!あれ!」

栞の声に振り返った恵美子が見たのは、芝生から離れた地面にへたりこむ美和と優希、そして大きな虎がゆっくりとふたりに近づいていく姿だった。美和と優希は全身が震えながらもお互いの手を繋いでいる。その間10メートル、8メートル、6メートル・・・・・・確実に縮めてくるのが分かる。だが、動けない。誰も近づけない。

「いやああ!誰か!うちの娘を助けて!」

「お礼はいくらでもするわ!だから娘を、優希を助けて!」

駆けつけた飼育員に行く手を遮られ、木ノ山と竹里は叫んでいる。飼育員は必死で「虎を興奮させるだけですから、落ち着いて!!」とふたりを説得するが、おさまりそうもなかった。

すると、虎の歩みが止まった。

ふたりのいる所から3メートル位の所に赤いリュックがふたつ落ちていた。虎は立ち止まり鼻先で匂いをしばらく嗅ぎだした。そして口を開け、牙でリュックを引っ掛けるとぴりり、と布を裂く音がしてリュックが破け、中身が飛び出してきた。おにぎりにお弁当箱、果物にお菓子と色々と出てくる。そのひとつひとつを鼻先でつつき、匂いを嗅ぐ、を繰り返している。その様子を見た飼育員はゆっくりと近づき、虎の動きを慎重に確認する。どうやらリュックの中身に意識が集中しているようだと判断した飼育員は、まず優希を抱き上げて後ろへ下がっていく。その間虎はもうひとつのリュックも同じように牙で破り、中身を嗅いでいる。交代した飼育員が今度は美和を抱き上げて下がっていく。そして数分後、パァンという音と共に、虎はその場に崩れ落ちた。虎が倒れた周りにはきのことたけのこのチョコレート菓子が散らばっていたのだった。

こうして親子遠足は終わった。

美和と優希が母親の元を離れたのは、とにかく謝って一緒に動物を見たかったからと涙ながらに話してくれた。木ノ山と竹里はそれぞれの夫や親に「子どものケンカに親がしゃしゃり出るとは何事だ!」と散々叱られ、当面の間外出禁止になったと、片山保育士が「ざまぁみろ」という表情で話しているのを見て、恵美子は苦笑するしかなかった。

教訓。子どものケンカに親は出るな。


初出 2016年2月 日本ショートショート大賞投稿作品

桜花帖

歴史小説家ときどきラーメン&スイーツ探訪家・伊達桜花のホームページです。 オリジナル創作小説、本の感想、食べ歩き記録など、伊達桜花の好きなものを発信しています。

0コメント

  • 1000 / 1000